宿題の意味を勘違いしてないかい?

中学生は復習を宿題にしているのだが

 

宿題で全てが⚪︎であることが目的ではない。

 

 

塾で理解したことを

 

自力でできるように宿題で練習してくるのだ。

 

 

だから最初は×なんて何個あってもいい。

 

宿題として、出来ないものを出来るようにしてくればいいのだ。

 

だから宿題って、ただやって終わりでは意味を成さない。

 

 

宿題?

 

というか、自力で出来るように練習してくる。

 

は、成績を上げたいならもはや当たり前。

 

 

スポーツだってそうじゃん?

 

こうやってやるんだよ!

 

って教えてもらったら出来るのか?

 

違うよね。

 

それが出来るように練習をするよね。

 

何回も。

 

 

塾での勉強は、こうやってやるんだよ!

 

の部分。

 

 

それが出来るように練習をするのが宿題の部分。

 

 

そして、みどり塾は通い放題だから

 

別に宿題を塾で聞きながらやったっていい。

 

 

こうやってやるんだよ!の部分を何回も聞けるのだ。

 

 

しかし、なぜだか皆んな×を嫌がる。

 

出来ない自分を認めるのを嫌がる。

 

だから、間違えているのに⚪︎にしたり

 

最初から×にならないように、解説や解答を見て⚪︎になるように写す。

 

 

×を⚪︎にすることこそが成長なのに。

 

×は伸びしろ。

 

×があることを喜ぶくらいでないと。

 

 

まずは×を肯定することから始めよう。

 

この×を出来るようにしたら成長できると。

 

×を嫌がっては伸びない。

 

×を⚪︎にすることに喜びを覚えるのだ。

 

それが必ずや成長につながるから。

 

 

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